みなさん、こんにちは!(こんばんは!)
とも(@ResNovae_jp)です。
テクノロジーの進歩がひとにどんな進化をあたえるのか妄想してみた。
■妄想の終着
情報の爆発がひとに何か変化を及ぼすかもしれない。
(2006年世界で作成されたデジタル情報量=これまでの人類史で記述された書籍の300万倍、で、いまは2006年の6倍以上と推定されている。)
Twitterやってて感じた。
Twitterのタイムライン、ドンドンスライドしてチェックしますね。
自然にやってるけど、全く前後の関連性がない、脈絡のない情報を処理。
で、再度関連があるtweetが来たら自然に結びつけている。
ここまで、感覚的に無意識に。
ものすごい量を瞬間的に。
これ、何か僕、フォトリーディングの感覚にちょっと近いんですよね。
あと、Twitterやってると、セレンディピティが頻繁に起こるようになった。
これって、いままでの情報システムの中ではあり得ないですよ。
コレには驚いています。
速読では感情が追いつかなかった感があるけど、やっているうちに、能力の何らかの進化があるかもしれない…。
…で、以下がここまでに至る流れです。
■今回の話の流れ
下部トゥギャッターも参照下さい。
- 熊谷 友宏さんの(@es_kumagai)トゥギャッター『電子書籍に思う長所と短所』がきっかけ
- Gigazineの『電子書籍に移行することで失われる読書体験の中身が少し判明』が話題に。
- 電子書籍がひとの読書感覚にどのような影響を及ぼすかという流れ。
- テクノロジーがひとに与える影響へと発展
■電子書籍出現による読書感の変化
いま、興味がある本があれば、必ず電子書籍をチェックする。
確かに読んでいて、紙の本との読書間の違いは感じるところではあった。
「(紙の)本=日常のなかの非現実体験」「電子機器=非現実(非体験)」「同じ内容でも、本だと何か自分に近いことの様に感じる」〜そんな時空的な何か差が存在するのかもしれませんね。
紙の本では得られない、電子書籍特有のプラス〜未知の世界ですからね。思いがけずプラスに転向する何かは秘めていそうですよね。ともすると今の人では感知できない何かを。
新たな感覚が得られるかも知れないんですよね。
例えば、PC、iPhoneなどのゲームが脳に与える影響など、近年の話ですからね。
ゲームが人の能力にどのような影響を与えるか、などという記事は、ここ最近はちらほらと見かけるようになった気がする。
■環境の激変
ちょっと飛躍しました。
でも、形状は別として、何らかの変化を生むんじゃないかといつも思ってます。
意識、とか、感覚、とか。
第6感的なものを生むかもしれませんよ。
近年の異常な情報量の増大はなんらか人に影響を及ぼすと思うんでけどね。脳とか。それが進むと、クラシックなモデルの火星人みたいになるんじゃないですかね。タコみたいな。
話それますが…僕、コレスゴいな、と思って。
このタコ型火星人、モデルが考えられたの、1897年ですよ。
マン・アフターマンより随分前です。
■SNSの驚異
自然に日常生活に浸透、いまや切っても切れないものになってきてます。
SNS って凄いですよね。それまでだったら何かの機会に縁があって(別に無関心でなくても)その後1年も付き合いがなければそのまま消滅してしまいそうなところ、SNS ならずっと続く。
親友、友達を超えて、知り合いでも「今何してるの?」さえ要らない今の繋がり、よくよく思えば、人間関係を根底からすっかり変えてしまってますね。本と同じで引き換えに、何かを失くしているかもしれません。
佐々木俊尚さんの著書『自分で作るセーフティーネット』の中で、『今までの人類社会で、遠隔地の人ともこんなかんたんに人間関係を保てる道具はありませんでした。だからこれは、人類社会にとって大変大きな発明と言えるんですよ。』と言っていました。
■むすび
ま、ちょっとブッ飛んだところもありますが、環境は変わっています。
そのことを佐々木俊尚さん含め、いろんな方が同じ事言ってます。
だから、いままでとちょっと違った視点、意識で世の中に対さないと、ドンドンずれが生じてきちゃいますよ。
■トゥギャッターまとめ