みなさん、こんにちは!(こんばんは!)
とも(@ResNovae_jp)です。
『自ら選んだ苦労は苦労ではない。』宋 文洲
いまの行動はすべて自分が選択したもので、自らが責任を負うべきだ。
さらに、それが自分の為のものであったら尚更だ。
苦労を選んだ末、余裕がなくなったり大変な状況になると、ひとに『頑張ってる』アピールをして認めてもらいたくなってくる。
あるいは、自分だけが特別という意識が頭をもたげる。
それは、自分が好きでやってることだろう?
また、どうも努力の成果が出ない、認められない…余裕がない状況で、うまくいっているひと(ように見える)、ラクしている人(そう見える)を見ると…。
「オレ(ワタシは)は大変だ、頑張っている!」
とか
「自分は頑張っている、苦労しているのになぜ…」
とうらやましい、ねたましい気持ちが生じたら要注意だ。
苦労のヒーロー、ヒロインを演じる準備が整いつつある。
苦労する道を選択したのは自分なのだ。
別の道もあったのに、それを選んだのは自分。
*いかなる状況においても、その状況への態度を決める選択の自由はあるとヴィクトール・フランクルは言う。
人生の選択は自分が責任を持つものであり、故に自由だ。イバラの道を歩むのも自由。
自分の価値観によって選択した苦労は、他人に誇るものでもなく愚痴るものでもない。