才能は尖った特別な能力ではなく、『どれだけ作業し続けられるか』、いかに長い時間それに関わっていられるか、というもの。
みなさん、こんにちは!(こんばんは!)
とも(@ResNovae_jp)です。
今日は、先週も取りあげた『才能』について。
■才能=「どれだけ作業し続けられるか」
先日チェックしたtweetの中で、興味深いものがありました。
「感性みたいのはあまり関係ない。たくさん作業できる人が才能のある人」伊藤ガビン・インタビュー
この人が、伸びるかどうか。でも、それは「感性」みたいなものとは無関係なんですよね。才能ってほぼ「どれだけ作業し続けられるか」なんですよね。それも、作業するのを頑張るんじゃなくて「作業が止まらないタイプの人」。
たくさん作業できさえすれば、大丈夫。中学高校とかでも、すごく運動神経がいいヤツがいても体育の授業でバスケットの授業になったらバスケ部のヤツには敵わないっていう単純な話に近い。1つのことを長い時間かけてやっている人のほうが作品的にもいいしでてくるものは美しい。それって結局バスケをやった時間が長い方がだいたい勝ち、みたいな話でしょう。それをデザインに置き換えれば、デザインずーっとやってられる人の作品が面白いんですよ。それは確実にそうです。
引用しまくりなんですが、ゼヒ読んでもらいたい箇所です。
『伸びるのは楽しく続けられる人』というタイトルのところなんですが、これにはとても共感しましたね。
何か拍子にストップしちゃうひとと、続けられるひと。
続けられる人は、それに関わっている時間も明らかに長い。
そりゃ、差がつきますよね。
先日のドラッカーの名言でも取りあげた、ウサギとカメの話に通じます。
過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができる。
■才能のイメージ
どうも才能って、特別なものがないとダメなんじゃないか、ってイメージがあります。
僕自身そういうイメージがあるけど、今回の内容で尖った能力でなく、淡々と続けられる力を才能と言ってます。
オン、オフ、0−100でなく、状況に影響されず、少しずつでも確実に歩を進められる力。
自分には何か特別な才能はない…
と思ってしまわず、なにか続けることができたら、それはもう才能なんです。
■むすび
ま、何かを続けることができる、継続する、というのもなかなかできないですよね。
だから、それをするだけで抜きんでることができる。
超三日坊主の僕も継続力を磨きます笑。
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